こんばんは、今日は元気でしたか?元気ですか?
このブログを読んでてテンションが上がることはないと思うので、10年間付き合ってた彼氏にプロポーズされたばっかりの人(おめでとうございます)とかは読まないほうがいいかも、と思うんですけど。
今晩は BUMP OF CHICKENの楽曲、「ディアマン」について考えます。
あなたは音楽が好きですか?私は好きです。
好きですよね。それで藤くんも音楽が好きだし、この世のミュージシャンたちはみんな好きだし、ほとんどの人間が好きなんじゃないかな。
ディアマンの曲の中の少年も。
一番
怖がりな少年 どんどんギターを歪ませた
他人は少しも解ってくれなかった
5Wのアンプがなるべく小さく絶叫した
締め切った窓 三日月が覗いてた
声がいい、ギターがいい、導入から好き。ギターは歪んでなんぼみたいなその感性が既に歪んでるよね。
そして窓から三日月が覗く時間やから結構早いな、と思いました。三日月って太陽の近くにあるから沈むのも6時から9時くらいだよね。そんな晩御飯とかお風呂とかのはずの時間にも熱心にギターしていてなかなか好きなんだな。
ところで三日月って、「願いを叶えてくれる月」らしいです。
ビルや山があると、それにさえぎられて、なかなか見ることができません。だから、見つけられたら幸運があると考えられてきました。戦国時代の武将は兜に三日月をつけて必勝を願ったり、学校や会社のマーク、国旗に使われたりしています。
なんだそうです!そういう願いを叶える月が、少年の気づかないところで一方的に少年を見つめている所が良いですよね〜〜多分少年は自分のギタープレイに夢中で月を見つけられてないんだろうな。私達も三日月の目線からは目をそらしているんだろうな。
布団かぶってイヤホン ラジオなかなかのボリュームで
キラキラした音が体を走り回った
大好きなシンガーなんで好きなのかわからない 目を閉じればすぐ側にいた 確かに
その声とこの耳だけ たった今世界に二人だけ
まぶたの向こう側なんか 置いてけぼりにして
すっごいわかる 音楽って結局耳に入ってくる雑音を消してくれるものですからね。
ちょっとうるさいクラスメイトとかの声も、イヤホンを耳につけたら轟音のギターがかき消してくれるからつい頼ってしまう。そしてその音楽を聴いている自分だけを特別な世界に招待してくれる。愛の逃避行ですか
どこにだっていける 僕らはここにいたままで
心は死なないから あの雲のように遠くまで
何にだってなれる 今からだって気分次第
退屈なシナリオも 力ずくで書き直せる
ここらへんからが問題なんです。問題っていうか、藤原基央はあまりにも人間の本質に取り入ってしまった
現代社会を生きている私達はそう簡単に何処か行くなんてことはできません。果たさなきゃいけない責任や、誰にだってできるけど自分に割り振られてしまった仕事みたいなしょうもないものにしばられています。私だってこれ書いてる今は定期テスト期間中で、こんなことしてる場合じゃないんですけど。急にごめん、自分探しの旅にでるから...ってスナフキンみたいにギターをボロロン...ってかき鳴らしてふらふらさまよい出すなんてできないから、せめて布団に籠もってる私達は賢いです。「心は死なないから」って必死に自分に言い聞かせているように聞こえた。同じ場所にとどまり続けてしまうと、水たまりはどうしても淀んてしまいます。自分自身を分子レベルまで分解して蒸発させてほしい。気体になって特定の形を持たなくてよくなったらすごく自由で気持ちいいと思うんだけど、結局自分自身を変えることはできない。だれだってシナリオ書き直したい。今までの間違った年月を書き換えてほしい。
何にも知らないんだ 多分 全然足りないんだ まだ
二番
ぐるぐるして苦しいのは、例えば私はどうしても陽キャにはなれないな。どうしてもkpop の話にあわせられないな。それに
「常に誰かと一緒 似たような格好 無駄に声がでかい」
「話題は繰り返し ジョークはテレビで見た」
「語り合い 励まし合い ケンカする 仲間が大事」
そういうのを見下している 腹の底
そういう諦観を抱えていても腹の底ではみじめにみんなと仲良くなりたい欲望を抱え続けている、っていうことだとおもう。「見下している腹の底(はホントは...)」ってことでしょ。
なんどもうじうじ考えて、なんども諦めたから音楽を聴いた、と思っていたけれどそんなことはないのかも。
人が音楽を聞くときって、どうしても譲れない感情が本当はあるときなんじゃないかな。
踊りたいからダンスミュージックを選ぶように、心は赴くままに自分のための歌を選んでくる。諦められない気持ちのとき、諦めたいから、諦めろって歌を聴いてしまう。だけど夜に聴いて涙を流す歌はだいたい希望の欠片が覗いている。自分が今まで大切にしてきた楽曲たちはみんな何かを求めていた。世の中のほとんどの曲は「あるもの」を求めて歌っているものだと思う。あるときは愛のハグ、あるときはありのままの自分を求めて歌っているように聞こえる。曲を聞くのはまだ感情を持ち続けることを諦めていないっていうことだ。なにか感じたい気持ちがあるっていうことだ。私が聴いてきたのは私が聴きたい曲だったから、そのたびになんか感じたいって思ってた、なにもかもいいって投げやりになって何も感じたくないって思ったときも、何かを感じてしまう恐れのある他人の歌声なんか聞こうとしていた。
怖がりな少年 どんどん自分を強くした
キラキラしたものの 裏側を疑った
変わってしまったシンガー 昔のようには歌えない
がっかりした そのうちなくした 興味を
ここは少しシンガー側の目線だ。今までは少年がシンガーに自分の感情を、心を守ってもらうために曲を聴いていた。それでもずっと興味を持ち続けることってないもんね。私も最近はバンプあんまり聴いてなかった。
易々と気は許さないさ まがい物ばかりに囲まれて
まぶたの向こう側でずっと本物だけ見てる
それでも音楽を聴いた自分は自分としてそのとき確かに存在していた。どれだけ現実で心を殺して、曲に感情を求めても、そのときにあなただけに語ってくれた声は確かに存在していたでしょ。バンプのライブ行けばわかるとおもうんだけど、ライブの時って藤原さんって絶対ひとりひとりに向かって歌いかけてることで有名だよね。「二万人居ても二万通りの一対一があるだけ」発言や、君って語りかけてくる口調。
曲の中の声はいつだって語りかけてきてる。他人の声を自分の中に取り込んで、自問自答みたいなそうじゃないみたいな感覚になる。
私はずっとそのやりとりに救われていた。自分に向かってきちんと向き合ってくれることがものすごく嬉しかった。自分の感情をみつけだしてくれた。それを求めて歌ってくれた。
音楽は一方通行のものではない。その曲の作者に、いま地球のどこかで生きている本物の藤原基央の脳に話しかけることは一生できなくっても、いま流れている曲の声はあなたの感情を全部わかっている(だってその声は自分の声でもあるんだから)、あなたのその気持と向き合ってくれている、音符を通すことでこちらが真剣になればむこうはいくらでも真剣になってくれる。アンプは絶叫してくれるしシンガーは歌ってくれる。
二人だけになったあとはもう大丈夫だって思う。
一度人と向き合う体験をしたんだから、真剣に向き合ったうえで向こうがもう大丈夫だよって言ってくれたんならそれはほんとうに大丈夫だっていうことなんだよ。
大丈夫になりたかったらアーティストの声を通してシンガーと、っていうかもう一人、そのシンガーを求めた心の奥底にいた自分自身と向き合えばいい、そして二人に大丈夫だって言ってもらえばいい。
そしてそれは目を開けてもずっと魔法みたいに残っている。そうだと思ってる。
それでも未だに「何にだってなれない 何を着ようと中身自分自身」って思ってしまうけど、でも藤原さんもディアマンを聞くたびに何回目でも今の瞬間に私の耳だけに歌ってくれるから
音楽のお陰で変わった、とかまでは言えないけど、きっとこの先も何回もディアマンを聴くんだろうけど、自分に向き合ってくれる声に出会えてよかった。ほんとうによかったです。
その声とこの耳だけ この声とその耳だけ
あなたもずっと音楽に見守られて生きていけますように。私なんかが祈っていいことじゃないかもしれないけど。音楽っていいね。バンプっていいね。おやすみなさい。

